扉日記

doors diary

イマジネーション10

考えない。頭に浮かんだものをそのまま。

電車、機関車ではないのに煙をふいている。森の中を走っている。トンネルを抜けると鉄橋。

奥にダムがある。

鹿の親子。

夜。

絵本。

鹿の群れ、小鹿が群れを離れる。

遠くに窓が光っている電車。その奥にダム。

水辺で小鹿が電車を眺めている。

小鹿は電車が気になってそっちに行ってみたくなった。

歩いてそちらに行ってみようとする。

少し坂を登るけど全然余裕。

線路に出た。

線路の上は歩きやすいのでそのまま線路を進む。

鹿のお母さんは小鹿がいなくなったことに気が付いてあたりを見回した。

匂いを嗅いでいる。

においでわかるみたい。匂いの方向に進んでいく。

小鹿は小股でちょこちょこ早い足取りで線路の上を進んでいく。

とても好奇心旺盛

イマジネーション9

砂浜の海岸。波のリズム。それに呼吸を合わせている。

呼吸はゆっくりになって心が落ち着く。

夜の海岸。とても静かで少し孤独を感じる。月の光。星空。波の音。

イルカが遠くで飛び跳ねる。

星が回る。

少し肌寒いけど気持ちいい。夏の終わりころ。

自分は子供。たぶん6歳くらい。

となりに女の子。

たぶんぼくはその子のことが好き。

一緒に座って星空を見上げる。

星がきれい。

とても良い時間。

この時間がずっと続けばいいのに。

とても幸せな気持ち。

少し風が吹いている。

二人で星を見ているだけで何も話さない。

二人の世界。

ほかに誰もいない。

永遠を感じる。

星空のほかには何もいらないような気がする。

今まで見たどんな映画より満点の星空のほうが感動的かもしれない。

世界ってなんかすごい。

自分がとても小さく感じる。

宇宙は大きすぎて言葉は出なくなる。

遠くの星に行ってみたくなる。

でもここが一番いいと思う。

今ここでこうしていること以上の幸せってない気がする。

たぶん彼女も同じ気持ち。

宇宙もそれを祝福してくれている。

世界が全部同じ気持ち。

それ以外に何もいらない。

流れ星。

少し眠くなってくる。

彼女も眠くなって僕の左肩に寄りかかる。

二人は眠ってしまって、意識と宇宙がひとつになる。

僕たちはいなくなって意識の中に吸い込まれる。

宇宙が心の中にあって心の中の宇宙を見ている。

僕がいるのはさっき見ていた遠くの星のところ。

ずっと遠くに僕たち二人が寄りかかって眠っている。

遠くの星は遠くではなくなり宇宙はとても小さくなった。

僕たちは宇宙よりも大きくなった。

宇宙がぼくたちを創りだして僕たちが宇宙を創りだした。

宇宙は大きくも小さくもなく、僕たちは存在しているわけでも存在していないわけでもない。

ただとても幸せな気持ちだけを感じる。

それがただずっと続いているだけ。

この感じが一番いい。

とても良いイメージ。

 

 

 

イマジネーション8

文章ではなく頭の中の映像を見ます。「考える」ということはどこでやっているでしょう?

浮かんでくる映像はどこに現れてくるのでしょう?

頭の中に映像をつくろうと思うと映像は頭の中に浮かんできます。

しかし例えば心臓のあたりに映像をつくろうと思えば映像は心の中に現れます。

「考えている」のは頭だけではないことに築くことができます。

みんなは頭で考えていると思っていますが、よくよく自分を観察してみると映像が浮かんでくるのは頭の中だけではないことが分かります。

例えば目を閉じて、サッカーボールが自分の足元に転がっていることをイメージします。するとイメージのサッカーボールは自分の体の外にちゃんとあります。

そして、それをイメージの遠くのゴールの左上の隅を目掛けて思いっきり蹴ってみます。

入りました。キーパーは手を伸ばしても全く届きません。

もちろんそれを頭の中でだけ考えることも可能です。

頭の中に自分と自分の足元にサッカーボールがあることをイメージし、頭の中の自分がそれをゴール目掛けて思いっきり蹴ります。

入りました。

同じシーンの映像を頭の中で再現してみました。すると自分はとても客観的でまるでテレビを見ているような感じがします。自分がボールをけっているような感じはしません。

それが頭の中ではなくて自分の足元、つまり自分の外側に映像を創ってみると、それはとても主観的に感じられます。実際に自分が体を動かさなければイメージのボールはゴールに入りません。

通常、「考える」という行為は大方の人は頭の中で、文字や数字や図などを使って行っていると思い込んでいますが、実際には違います。

「考えている」のは自分の頭であり、体であり、自分の外側にあるすべてです。

文字だと少し難しいけれど、それ頭ではなくて心や身体を使って創りだすことも可能です。

というか実際に文字を思い浮かべるときに頭でだけやるほうが不可能のような気がします。

それに文字を文字だけで、何の連想もせずに、映像を創らないで思い浮かべるということのほうが異常というかたぶん無理だと思います。

文字や数字にも必ず何かしらの自分の持つイメージと一緒にそれが映像や感情、感覚を伴って現れます。

何か一つのものが一つだけで存在することはありえないように感じられます。

 

自分の足元にとても大きな地球があることをイメージしてみたいと思います。

すると自分の足元に大きな地球が現れました。

意識するまでは自分の足元に大きな地球がありませんでした。

あったのだけれど忘れていたのです。

そして、大きな地球がぼくを引っ張っていることをイメージしてみます。

すると重力が現れました。

実際に重力はあったのだけれど僕はそれを忘れていたのです。

無意識を意識するといろんなものが現れます。

こんなに身近なことでも意識しないとないことになってしまいます。

感じてないものはないのと同じです。

考えることと感じることはほぼ同等です。

感じれないことを考えることはできません。

感じているのは頭だけではありません。

僕と地球と宇宙と周りに見えるもの、見えないもの、現実的にあるもの、あるようでないもの、あるのにないと思い込んでいるもの、全て僕の思考や感覚の対象になります。

また僕というのは何を指すか?その思考や感覚の向ける先のすべて。

僕の表現は常に僕の内と外にあります。

私は頭や身体や心ではありません。

自分は自分で定義することができます。

その人が自分が頭だと思っていたら頭になります。

自分が心だと思っていたら心になります。

自分は体全体だと思っていたら自分は体になります。

自分は地球だと思っていたら自分は地球の一部になります。

自分が宇宙の一部だと思っていたら自分は宇宙の一部になります。

思っていたらというのはその人がそう感じていたらということです。

その人はそう感じるんだからほかの人がどう考えようと関係はありません。

その人にはそう感じられるのだから。

自分は自分の意識の向ける先を感じることができます。意識はどこにでも行けます。

自分を自分の頭の中や身体の中に閉じ込めておくのはもったいない。

意識は自分の体を抜けていつでもどこにでも行くことができます。

イメージの中で自分はなんでも創りだすことができます。

自分が何なのかはわからないし、自分が何と捉えるのも自由です。

自分がなんなのかわからなければ、そのイメージを誰が創ったのかもわかりません。

浮かんでくるものの要素も全部外側からの何かしらのヒントによります。

浮かんできたイメージを創ったのは誰か?僕の頭ではありません。心でも、身体でもありません。

ここにある自分の身体や見える世界は誰が創ったか?自分ではありません。

自分はどこにいるか?自分なんていません。

みんな自分が何の目的でここに存在しているのか?を知りません。

目的なんかあるのでしょうか?

自然が存在することに目的なんてないかもしれないし、あるかもしれません。

でも僕が自然を見ていいなと感じれば、自然は僕にとって存在意義があります。

誰かが僕や僕のやっていることを見ていいなと思えば、それをいいなと思った人にとって僕は存在意義があります。

その時僕ははじめて僕の存在の理由を与えてもらうことができます。

そうでなければ僕に特に存在の理由はありません。

ぼくは美しいものを見ていいなと思うためにここにいます。

ぼくは存在意義を与えるためにここにいます。

だからぼくはいろんなことに対していいなと思わなくてはなりません。

ぼくが花を見ていいなと思わなくては花はきれいでいる意味はありません。

ぼくがいるから花は綺麗に咲く甲斐があります。

ぼくは花を見て綺麗だと思うことはできるけど

花がぼくをみて(感じて)いいなと思ってもらうにはどうすればよいのでしょう?

そんなことは思わないかもしれません。

でもぼくが花を見てきれいだと感じているときにぼくはなんとなく花と心が通じているように感じることができます。

それは人でも同じです。

ぼくが誰かに感謝の気持ちを持ったとき、理由はよくわからないのだけど何かが通じたような感じがします。

そしてぼくはとても幸せな気持ちになることができます。

これはたぶんみんな同じだと思う。

人でも花でも何でも。

 

 

 

 

イマジネーション7

奇想天外なことを6つ考えるのは朝飯前じゃないので無理だ。

夕焼け空?朝焼け?どちらかわからない。海の匂い。オープンカー。

朝っぽい。海に掛かる大きな橋。

まだ太陽が昇らずに少し肌寒い。

帽子が飛ばされた。

朝まで遊んだ帰り。

風が気持ちよい。

眠いのを通り越して目がさえてきた。

橋の左手の海の向こうから太陽が上りはじめ、頭上の星は消えかかっているけどまだいくつか残っている。

今何時だろうと思う。

時計を見ると4時30分。

ほかに車は走っていない。

もう少しで街に入る。街も静かでまだ街が動いている感じがしない。

街もみんなも眠っているんだと思う。

街には入らずにハンドルを左に切って少し海沿いを走ろう。

もう少し海の景色を見ていたい。

殺気よりも少し明るくなって、なんとなく寒くなくなってきた。

岸壁に車を止めて、海を眺める。太陽のほうだけ水色になってきて、頭の上はまだ少し暗く灰色っぽい。星はもうなくなった。

魚いないかな?と海をのぞき込むけれど魚が見える感じがしない。

急に森に行きたくなる。

キャンプ場の横に森がある。

森の匂い。栗の木?クヌギの木?栗が見当たらないからたぶんクヌギ。カブトムシがいそう。ぼくの嗅覚が働いた。

木はまばらでサンダルだけど入っていきけそう。

木をけって揺らしてみる。何も落ちてこない。

この木にはいない。

別の木。ここはいる。

でも幹が太くて蹴っても落ちてこなそう。

もっと細い木。

これは?

ハチ。

いなくなった。

えい。

地面にドサッと一つ何か落ちる。「やっぱりいた!」

ノコギリクワガタがひっくり返っても動かなくなっている。たぶんびっくりして止まってしまったのだろう。

ノコギリクワガタは意外とあんまり動かない。

彼を手に取って左手にくっつけて、キャンプ場のほうに出る。

これはイメージ。自分は今海の岸壁にいる。

これもイメージ。

イメージの中の自分のイメージ。

今はソファーに座ってパソコンに頭に浮かんだイメージをそのままタイピングしている。

これもイメージ。でも実際も同じ。イメージと現実がリンクしてくる。

横の鏡には全部反対の自分が同じリズムで指を動かしてタイピングしている。

鏡をのぞき込むと彼も同じように僕をのぞき込んだ。

胸のあたりがドキッとなってびっくりした。

現実と夢。夢とイメージ。勝手に浮かんでくるもの。自分が作り出したもの。それらには何も区別がないように感じる。

自分が作り出したイメージは自分が作り出したのではないように感じる。誰?

自分が誰なのかよくわからなくなる。

自分は宇宙のどの辺にいるのだろう?

宇宙の地図がよくわからない。世界地図みたいに広げられるのかな?

宇宙。自分がいなくなる。宇宙をずっと進んで行ってみる。

さきのほうが明るく白くなっていて、無数の星と銀河。星がたくさん渦巻いている。

白い光が大きくなってくる。

自分が目を覚ます。

南国の風景。

自分は南国に行きたいんだ。

南国の砂浜で夜空を見上げる。

無数の星が見える。

流れ星。

たくさん流れる。

星が回り始める。

イルカが飛び跳ねる。

遠くに三日月。

海岸から戻って銀色のオープンカーに乗り込む。

赤いシート。

DAIさんのベンツ。

暗闇の中を走る。まだ夜が明けない。遠くに大きな橋が見える。

最初に戻った。

また夜が明けてきた。

橋の左手の海の奥のほうが明るくなってきた。

あそこから太陽が登るんだ。

帽子が飛ばされた。

空にはまだ星が残っている。

なんかこの景色覚えている。

まるで昨日のことのように。

まだ少し肌寒く、風が気持ちよく感じた。

 

 

イマジネーション6

思考は現実化するのかやってみようと思います。

「お金お金お金お金お金・・・・」

お札の山を想像してみます。

一万円の束が山盛り。

数十億円?もっともっと全然多い。

数千億円はある感じ。

いやもっとかな?よくわかりません。兆の単位かな?

1千万円で10センチくらい?それが何個くらいでしょうか?

とにかく山盛り。

これをずっとイメージしたいと思います。

現れるかな?

イマジネーション5

白い光の中をずっと進んでいく。

最初は太陽のような白い光が徐々に広がって目の前が真っ白になった。白い光が薄れていくと南国の景色、海是の風景。手前にヤシの木がある。

ヤシの実が2つ、風で揺れている。空を見上げるとさっき見ていた白い光、太陽が遠くに輝いている。きているTシャツの間を風が通り抜け、涼しさを感じた。

波の音。浮き輪を持った麦わら帽子とオレンジ色の横じまのボーダーのTシャツを着た若い女性。サングラスをかけてこちらを見てほほ笑んでいる。右手に浮き輪を抱えながら額の汗を左手で拭っている。白い歯が印象的。小麦色に焼けた肌。

鳥。日本の鳥っぽい。

そのあと大きなオウムのようなカラフルな鳥。

かき氷。ピンク色のシロップがかけてある。「氷」と書いたタペストリー。

お財布が砂の上に落ちている。自分の財布。中を見ると結構お金が入っていてびっくりした。これは自分の財布だから拾っても大丈夫。

「何しよう。」砂の上を歩く。右側が海。左に松林。車に乗る。オレンジ色の古いアンティークの車。

車種はわからない。右ハンドルだけど外国製のようなのでたぶんイギリスの車かな?と思う。海沿いの道路を走る。風が気持ちいい。遠くに気球が見える。

星。急に夜の景色。花火。大きな打ち上げ花火を見ていたら、今度は浴衣を着た子供たちと一緒に線香花火。遠くでいたずらっ子の男の子たちが花火の打ち合いをしている。ソナチネでそういうシーンがあった。

「やめなさい。」誰かのお母さんが怒っている。男の子たちは仕方なく、花火の打ち合いをやめて、しゃがんで手持ち花火を楽しんでいる様子。

バーベキューをしているのは日焼けしたお父さんたち。頭に手拭いをまいたりしている。トングでソーセージをひっくり返している。空を見上げる。星がたくさんあって綺麗。流れ星。何個も流れる。砂に寝そべって星を眺める。

急に朝、ベッドで寝ていた。

起きると左手の足元のほうの窓が開いていて、白いカーテンが揺れている。近くに赤い花がさしてある花瓶。カーテンが引っかかって倒れそうと心配になる。

「病院?」と思う。女性の看護師さんが入ってきてカルテを見ながら、僕の右脇のところに体温計を入れた。「変わりないですか?」「大丈夫です。」

「何か悪いところがあったのかな?」と思う。

どこが悪いのか考えてみる。「全部?」「何にも悪くないな。」たぶん仮病で入院してるんだと思った。

起きてどこかに行きたくなった。でも寝てないと怒られそうだと思う。

思い切って起きて外に出ることにする。学校の教室のような戸を開けて左側を見る。学校の階段のような階段を降りて、靴置き場のところまでくる。

外に校庭が見える。スリッパからサンダルに履き替えて外にでる。

水色のプラスチックのベンチを見つけ、それに腰掛ける。

花壇を眺める。

「ここ病院じゃなかったかな?」「まあ、いいや。」

学校も病院も似たようなものだと思う。

つまんないけど、いないといけない。

何か面白いことを探したくなる。

花を見ているのもけっこういいなと思う。

「帰ろうかな。怒られそうだし。」

どうして怒るんだろうと思う。

仮病だから?

違う。

そこにいないから。

仮病を怒ったほうがいいんじゃないの?と思った。

イマジネーション4

頭の中を壊します。目を閉じて。頭の中に爆発を起こします。「ドカーン」「ドカーン」。するとどうなるかやってみます。

そとは戦争をやっているような感じがしてきました。凄い音です。

今度は川の流れをイメージしてみます。外が急に穏やかになりました。木陰を歩きます。木の香り。

心が穏やかになります。そとはさらに静まってきました。空に浮いているような感覚です。木陰のわきの道を歩きます。とても天気が良いです。少し行くと道路に出ました。車がたくさん走っています。横断歩道があります。赤信号。少し待ってから車が途切れたので信号が青に変わる前に走って道路を渡ります。横断歩道を渡るとまた細い小道が続いています。右側に大きな木があります。椿だと思います。

少し行くとせまい交差点に入ります。お父さんが小さい男の子を肩車しています。後ろからお兄ちゃんがついていきます。「こんにちは。」裏通りの小道です。車も通ります。一台がぎりぎりすれ違えるくらいの細い道路右に曲がってみます。遠くに町が見えます。小高い丘の上だったようです。ヨーロッパのような街並みです。街の中心には教会のような大きな建物があります。丘を下っていくと町まで行けそうです。さっきまでは日本だと思っていたのだけど日本じゃないみたいです。日本とヨーロッパが混じったような街です。車の40と書いてある標識は日本のものです。でも遠くから歩いてきたおじいさんは背の高い外国人のようです。身なりはよく、帽子をかぶり、風貌は優しそうですが、威厳があります。こちらを向いて会釈してくれました。こちらも会釈を返します。少し気分が良くなりました。心地よい太陽の光を感じます。結構下って行かなければならないようです。街の中心まではけっこうあります。バスで行こうかと思います。少し先にバス停があります。時刻表を見てみます。次のバスは9:53もう2分くらい待ったらバスが来そうです。向かいの家の後ろは森になっています。空と森の木の境の一番高いところを見つめています。

子供のころに、おじいちゃんがたまに遠くの景色を見ないと目が悪くなるからと一緒に少し遠くに見える山の木のてっぺんを3分間じっとみつめるのをやらされていたことがあるので癖になっているようです。おかげであまり目が悪くならなかったのかもしれないです。

おじいちゃんの言うことはいつも正しかったように思います。

向こうの通りを若い女の人がふたりで話しながら歩いています。手前の女の人は肩から高そうなブランドものの小さなバッグをかけていて、白いニットにベージュのスカート、茶色と赤のハイヒールを履いています。黒髪のショートヘアで、ぼくの好みのタイプだと思いましたが顔は見えません。奥の方の女の人はロングヘアで、紺のジャケットとスカート、水色のシャツにスカーフを首に巻いていてとても上品に見えます。分厚い外国の本と紙袋に入ったフランスパンを持っています。顔立ちはキリッとしていて、とても賢そうで美人だと思いました。たぶん20半ばかと思います。美人な人は美人といることが多いので、手前の女の人も顔は見えませんがおそらく美人だろうと思いました。どちらの女性もとても品が良い感じがしました。

自分は女の人をよく観察しているのだなと思いました。

向こうからバスがやってきました。古いけれど赤くて丸みのあるかわいらしいバスです。消防車みたいだと思いました。バスに乗り込むと結構たくさん人が乗っていて、空いている席を探し、一番奥から二番目の一人掛けの席が空いていたのでそこに座りました。久しぶりにバスの乗るので少しワクワクしました。バスが走りだしました。少し行くと左手にきれいな公園と池があり、親子連れが遊んでいます。子供たちはボール遊びやフラフープをやっています。

少し行くと、なんだか急にビルが多くなってきました。都会的なトンネルに入ります。ここは高速道路のようです。高級車がたくさん走っています。みんな結構スピードを出して走っています。バスも大きなエンジン音を響かせながら周りに合わせてスピードを上げています。バスは結構無理しているような感じでこんなにスピードを出して大丈夫なの?と思いました。周りの人たちは慣れているのか、みんなどこかをずっと見つめながら黙って座って乗っています。やや年配の人たちが多いです。

若いビジネスマン風の男性が中央のあたりに立っています。

前のほうには先ほどバスに乗る前に見かけた若い女性が着ていたような白いニットの女性がいるだけで、あとはみんなお年寄りという感じです。

窓の外を走る周りの車はみんな立派で新しく、このバスだけがとても古い車なので、なんだか未来に来たような、バスだけが過去に置いて行かれたような不思議な感覚に陥りました。

トンネルを抜けるとバスの外には歩いているたくさんの人が見えます。画集か何かで見たようなフランスの風景画のような景色だと思いました。

きれいな街並みをずっと行くと右上のほうに、遠くから見えた大きな教会のような建物が顔をのぞかせていました。その教会のまえは広場になっていて、古いバスは広場の奥のバスターミナルに入っていきました。

みんなここで降りるみたいです。後ろの方の席に座っていたので、みんなが降りていくのを待ってから、一番最後に席を立って、80代くらいのおばあさんの後ろをついていきました。料金表を眺めると260とありました。おばあさんがお金を払うのを待ってから、右側のポケットから小銭を取り出して260円を払って、運転手さんに「ありがとうございました。」というと、運転手さんも「ありがとございます。」と返してくれました。

景色はヨーロッパ風なのにいろんなところが日本の感じです。

「外国風の街並みなのに、お金も言葉も日本語でいいのかな?」と思い少し戸惑いましたが、あまり気にしないことにしました。

大体ここがどこなのかも、ここへ自分は何をしに来たのかも、実はあんまりよく分かっていないのでした。

とにかく、あの大きな教会のような建物のところまで行ってみようと思ってここまで来てみただけなのです。

ただここがどんなところなのか見てみたかった。

ただそれだけだったので、ここまで来てみると次は何をしたらよいのかわからなくなりました。広場の少し先にあの教会のような建物があるので、そこまで歩いて行ってみようと思いました。

日本人や外国人がたくさんいます。日本人も外国人もみんなここで暮らしているような感じです。

観光客というかここに初めて来たのは僕だけのように感じ、少し孤独だと思いました。

建物の入り口のところまでくると、大きな木の扉は閉まっていて、CLOSDと書いてありました。今日は休館日のようでした。

「今日は何曜日なんだろう?」と思いました。

少し休もうかと思ったので、広場のほうを見渡すと右側のほうにカフェがあるのを見つけました。

「あそこにいって何か飲もう」と思いました。

アイスコーヒーが飲みたいけれど、たぶんそんなに美味しくないだろうなと思いました。

解放感のあるお店で、奥にバーカウンターがあり、年配の外国人の男性がカウンターに立っていました。言葉は通じるのかな?と思いましたがメニューは英語と日本語でも書かれてありました。

店内に入ると何となくコーヒーが美味しそうな雰囲気がありました。

アイスコーヒーを飲みたかったので、「C'e un Caffe' freddo?」と注文してみました。

ここはイタリアなのかなと思ったけれど、ハンドドリップで淹れてくれるみたいだったのでイタリアでもないようでした。

おすすめはケニアのコーヒーだというので、それをハンドドリップで淹れてもらうことにしました。ハリオのV60で下に氷を淹れて急冷するみたいでした。

カウンターの奥には見たことのないスタイリッシュなエスプレッソマシンが置かれていたので、マシンのことを聞きたかったのですが、あまり言葉が通じないのではないかと思い、そのことを聞くのはやめてドリップの淹れ方を見ることにしました。

マシンのことはあとでネットで調べようと思いました。あんなマシンがあることをぼくが知らないわけがないんだけどと思いながら、

年配のバリスタは何か話しながらコーヒーを淹れてくれています。

おそらく「こうすることでコーヒーの味の特徴がより引き出せる」という感じのことを外国語で話しているような感じでした。

言葉は何語かよくわからなかったのですが、なんとなく言いたいことは伝わってきたので、うなずいて「なるほど」という感じの顔をしました。

たぶん伝えたかったのは木のへら粉をかき混ぜることのコツのようなことでした。縦横に2回ずつ十字を切るようにかき混ぜる事がポイントのようでした。理由はよくわかりませんが、「そうやると美味しくなるのね」と思いました。

コーヒーをグラスに移して出してくれました。お金は450掛かるみたいでした。何の通貨かはわかりませんが、僕のポケットに入っている小銭が使えるようでしたので、ポケットから小銭を取り出し、そのバリスタに500円コインのようなお金を渡すと、穴の開いた50円玉のようなお釣りを返してくれました。カウンターにチップボックスがあったのでそのお釣りをチップボックスに入れると年配のバリスタは「Grazie!」と小さな声でいいながら笑んでくれました。

ケニアのアイスコーヒーを受け取ると、僕は外のテラス席に座り、コーヒーを飲みました。フルーティだけど思ったよりもバランスが良く、主張が強すぎないとても飲みやすいコーヒーでした。

おいしそうだと思っていたけれど、飲んでみるとぼくの想像以上に美味しかったので少し驚きました。

味の理由を考えました。豆自体のクオリティがとても高いのだことは感じ取ることができました。ローストもきちんと素材を活かす為の焼き方がされてあるように思いましたし、それに対しての淹れ方も的確に、きちんと考えられて淹れてくれていたように感じられたので、とにかくこのお店が全体としてとてもクオリティの高いお店なのだということが分かりました。

「なんでこんなところに、こんなに美味しいコーヒーの出せるお店があるのだろう」と思いました。

周りのひとを見渡してみると、お客さんはピンク色のブルーベリーの入ったスムージーや赤いオレンジジュース、ジンジャーエールのような飲み物などを飲みながら、トマトとベーコンにバジルの葉っぱが乗ってあるパスタを食べている人が結構いました。ここはパスタも美味しいお店なのかな?と思いましたが、コーヒーを飲んでいる人を探したけれどいなかったので少し残念な気持ちになりました。

「どうしてこんなに美味しいコーヒーに誰も興味を持たないのだろう?」

ここのコーヒーすごく美味しいから一度飲んでみたほうがいいよってみんなに教えてあげようと思いました。

そういえばここのお店の名前なんていうんだろう?

探してみるとテラス席の日除けの上に「CAFFE CALIFORNIA」と書いてありました。

なんかおもしろい。

あんまりカリフォルニアって感じがしなかったけど、そういえば店の中の壁にサーフィンをしている人の白黒の写真が掛けてあったことを思い出して、「もしかしたらあの年配のバリスタの若いころの写真かも。昔カリフォルニアにいたのかな?」と思いながら広場のほうへ向かってまた歩きながら、次は何をしようかと考えてみました。

色々考えているうちにだんだん家に帰りたくなってきました。「それで、ぼくの家はどこなんだろう?」と思い、少し不安になりました。僕はどこに帰ればよいのかわからなくなってしまいました。

どこに行ったらよいのかも、どこに帰ったらよいのかもわからない。困った。

広場の真ん中のあたりで立ちながらどうしようと思っていると、こちらに向かって誰かが歩いてくるのが見えました。彼女のことを僕は知っている人のように思いました。そして見覚えのあるファッション。彼女がぼくの前まで来ると「ごめん。遅くなっちゃった。待たせたでしょ。」と言いました。

「あっ、バスに乗る前に二人で歩いていた手前側の女の子。」と心のなかで思いましたが、それは言ってはいけないような気がしました。

「ううん。あそこのカフェでコーヒー飲んでたから大丈夫。」とぼく。

「コーヒーがすごく美味しかった。あのお店すごくよかったよ。トマトのパスタもおいしそうだったし。おなかは空いてる?」

「うん。少し食べたい。」

「じゃあ。あのお店でパスタでも食べる?」

「うん。いいね。でもまたさっきと同じとこでいいの?」

「うん。いいよ。」

さっきまではどこに帰ればよいのかよくわからなかったので、

またすぐに帰る場所ができて、すこし安心した気持ちになりました。

それに彼女のおかげで家にも帰れそうな気がしました。

「じゃあ。パスタ食べながらどこに行こうか考えよう。」

これから行くところもたぶん決まりそうで、帰る場所も分かりそうでした。

なんか今日はすごくよい日だと思いました。