扉日記

doors diary

イマジネーション1

外は雨が降っています。左側の入り口は戸が少し開き、その隙間から車のタイヤが濡れた道路の上を走る音がとめどなく店の中へ入ってきます。よく耳を澄ますと「シューン、シューン」と繰り返されるその音は車の大きさやタイプによって響き方が違います。「シューン」と一緒に「ゴーン」という音や「シュルシュルシュル・・・・」という音も混じります。「チュチュチュチュ・・・・・」という音も聞こえます。聞こえてくるのはタイヤの音だけではありません。車のエンジン音や、車が風を切るような音も聞こえます。音は車のタイプのほかに、車がどれだけ頑張っているか、車の出すスピードによっても違います。車のスピードが速いと音の刻みは細かく、そして大きくなります。もし私が車の音だということを知らなければ、また車という存在を知らなかったとしたら、この音は何の音だと思うでしょうか?花火の音のような感じもします。何かを切り裂くような音でもあります。厚い紙をカッターで切り裂いているような感じもします。

あまり心地の良い音ではありません。車のタイヤが水をはじく音と、エンジン音のハーモニーはスピード感があり、多少の緊張感が感じられます。みんなとても急いでいるように感じられます。しかし、雨の音は僕の心を落ち着かせてくれます。いろんな感情が心に入ってきて僕の心は少し乱されてしまいます。

音というのは時に暴力的です。耳はその音を意識すると、そこから離れられなくなってしまいます。

大きな音は無意識に遮断している僕にとっての今必要でない音の世界へと僕を強制的に連れていきます。その音の演奏が終わるまで僕は、ここの場所を離れるのでなければ、僕の意志とは関係なく、その演奏会を聞きたかろうが聞きたくなかろうが延々と聞かされ続けることになってしまいます。

余計な音を一度認識してしまうともう戻れなくなってしまう。また、音は意識しなければ聞こえてきません。ほんの小さな音でも僕が意識して聞き取る態度さえとれば、今すぐ演奏会は始まります。

演奏会を始めることは簡単です。しかし、演奏会を終わらせるのはとても難しい。自分で大きくしてしまった音を小さくするのは難しいのです。

感覚は磨けば磨くほど大きな刺激は必要ではなくなります。大きい音を求めるのは普段の自分の感覚が鈍っているからです。だからたまに大きな音を身体で浴びて、自分の麻痺してしまっている音を聞き取る感覚を呼び覚ましたいのだと思います。